山はてな

Twitterとnoteの隙間

#4 海と大地の振り子が揺れる。

Neo ATLAS(ネオ アトラス)』という最高のゲームがどれだけ最高かという話(を、なるべく記憶からひねり出して書きたい。なぜなら調べると単なる紹介記事になってしまって途中できっと飽きてしまうから)。

 

f:id:yamamountain:20190606133434j:plain
 

概要についてはWikipediaに詳しいはずなので触れないけど、簡潔に言うとこのゲームの目的は「世界地図を完成させること」だ。そのためにプレイヤーは未開の地へ船団を派遣し、新たな都市と交易をして資金を稼ぎ、ときに遺跡の発掘をして世界の謎に直面する。

 

背景は15世紀、大航海時代ポルトガルの港町・リスボンを拠点として、画面上は周囲が濃い霧で覆われている。これは未知の領域の直接的な表現で、調査船団を派遣して航路を進めると覆われていた霧のうち、通った部分だけが明らかになっていく。

 

タイトルが「Neo ATLAS(=新しい地図)」とあるように、進めていく過程で現れる陸地の形は現実のそれと同じだとは限らない。プレイヤーはその陸地があったことを調査船団からの「報告」というかたちで受け取る。ここが面白いポイントなのだけど、その報告を “信じる” か “信じない” かはプレイヤーの判断に委ねられる。

 

f:id:yamamountain:20190606140356p:plain

 

信じればその陸地は確定し、そこにある都市との関係を築くことができる。信じなければその航路は再び濃い霧に覆われ、再度調査したときにまた別の結果となることもある。見つからなかった島は、そのままその世界にとって無かったこととなり、途中で新たに発見されることは無い。

 

これを繰り返して世界の霧を晴らしていくのだけど、ある程度進めていくとプレイヤーのつくっている地図の「世界観」が分岐する。これは例えば現実の地球と同じ「球体世界」なのか、水平線で途切れた「平面世界」なのか。世界を支えている「巨人」がいるのか、あるいは「蛇」なのか。などで、この分岐によって世界の大まかなかたちが決まっていく。

 

あー、いろいろ思い出してきた。このゲームのオープニングで世界の縁にたどり着いた船が滝に落ちそうな瞬間、一気に海が広がって「この世界は球だった!!」ってなる映像は粗いCGながらとても魅力的だった。大航海時代から近代的な世界観への転換ってきっとこんな感じなんだろうと思わせてくれた。

 


Neo ATLAS OP

 

ところが最新版の『Neo ATLAS 1469』のOPは「15世紀、帆船の時代。この時代、世界はまだ平らでした。」と、無粋なモノローグからはじまる。20年前のスマートさはどこに。

 

また、このゲームは基本的にキャラクターがいない。調査報告の際などに語り手の顔グラフィックはあるけれど、それは「人」が話していますよ、という意味を持たせるだけの存在であって、感情移入をさせたり物語を仮託するような存在ではない。プレイヤーの視点は基本的に常に地図を俯瞰する神の視点であり、都市や探索のスポットも記号でしかない。地図は拡大・縮小こそできるが具体的な人の営みが描かれることはない。唯一、画面の端に髭面のおじさん(ミゲル)がいるが、彼も主体的に物語を動かす訳ではなく発言や行為の補佐的な役目に終始する。Officeのイルカみたいなものだ。

 

劇的なストーリーも魅力的なキャラクターもない。詰まるところ、このゲームはかなり地味な行為の積み重ねを要求する。けれど、それが単なる作業に陥らないのは “信じる/信じない” の手綱を自分自身が握っている実感があるからで、神の視点を持ちながら唯一見えないゴール(=世界の全貌)の存在を最初から常に匂わせ続けてくれるからだろうと思う。

 

翻せば、それだけの単純な要素でゲームの骨格が成立しているのだ。ストーリーゲーでもキャラゲーでもないが、雰囲気に逃げたゲームでもない。つくるのは架空の世界地図だけど、その架空は突然に現れたファンタジーではなく、どこかでプレイヤーを通して現実と接続しているように感じられる。それが、たまらなくよかったのだ。

  

なんでこんな誰に要請されたでもない、旬でもないゲームのことを書いたかというと、ほんとに理由が見つからない。「最高の」ってはじめに書いたけれど、これよりも長い期間ハマったゲームは他にもある。このゲーム面白いからオススメ!って気持ちもあんまりないな。(いや、このゲームについて話せる人が増えることは、とても嬉しいことかもしれない。)

 

ただ、なんとなく、ポケモンスマブラはみんなやってたけど、このゲームは周りでやっている友だちがいなかった。だから自分だけの記憶として大切に思うのかもしれない。そして個人的な記憶を書き進めていくのは心地よい。だってこれ無償の愛だ。