山はてな

Twitterとnoteの隙間

#2

質問箱に少し前にこんな質問があった。

 

「本当の親友って何人いますか?」

 

僕には自分では使わないと決めている言葉がいくつかあって、そのうちの一つに「親友」がある。この質問の回答にも書いたけど、どうにも気恥ずかしくて自分の言葉にならないように感じている。

 

原因には心当たりがある。中学生くらいの頃にヤンキー系のドラマだかマンガで、やたらと湿度の高い友情ものが流行った時期があった。その影響か、ちょっと悪びれつつ仲間想いっていう人物像がよいものとして共有され、特に田舎の中高生との親和性はとても高かった。それにハマれたかどうかの差だと思っている。(ちなみにこういうとき、往々にして優等生はドライでいけ好かないやつとして描かれるが、他方を貶めることで正当性を主張するのは見ていてしんどい。)

 

自分では使えないというだけで、他の人が使っている分にはあまり気にならない。ただ、なんとなく思うのは、特定の時期までに獲得できなければその先使えなくなる言葉があるらしい、ということだ。それはゲームの時限アイテムみたいなもので、どうやら僕は「親友」という言葉は取りそびれてしまったようだ。